高垣ひろのり 公式Webサイト
TAKAGAKI HIRONORI


PROFILE

熱い心行動力
明日の 東広島 を創ります。

HISTORY

1953
尾道市で誕生 3人兄弟の真ん中で長男(1女2男)
1960 尾道市立山波小学校入学
入学した頃
1966
尾道市立久保中学校入学
1968
生徒会長に立候補、当選
1969
広島県立福山誠之館高校に入学
文武両道、質実剛健の校風の中で心身が鍛錬される。
バスケット部に所属。 尾道から自転車、JRで通学。
三吉町の旧校舎にも通学した最後の世代。
1969
広島県立福山誠之館高校に入学。文武両道、質実剛健の校風の中で心身が鍛錬される。バスケット部に所属。 尾道から自転車、JRで通学。三吉町の旧校舎にも通学した最後の世代。
1972
大阪大学工学部土木工学科に入学。
環境問題が大きくクローズアップされている
時代で「環境工学」に進みたい希望があったが、
建設関係を仕事としていた親戚から土木工学を進められる。
1973
◀︎父死去。大学の休学を考えたが、
母や叔父の勧めで学業を早く終え卒業することを選択。
このころ教育や宗教に関心を持ち転学も真剣に考える。
合気道部に所属(初段、副将)
1973
父死去。大学の休学を考えたが、 母や叔父の勧めで学業を早く終え卒業することを選択。 このころ教育や宗教に関心を持ち転学も真剣に考える。 合気道部に所属(初段、副将)
1975
▶︎当時、クラスの半分は大学院に進学する時代であったが、母や弟の進学を考え断念。
当時卒論担当の講師(後の教授)から様々な指導を受け「大学院はモラトリアムのようなもの。
早く卒業して社会人になればいい。
その代わり4年生で修士論文を書こう」と激励され、正月など休み返上で実験と数値解析に明け暮れる。
カープ初優勝。
1976
◀︎大阪大学卒業、広島県庁入庁。オイルショックの後で就職状況が大変厳しい時代。
採用ゼロという企業、地方公共団体が続出。広島県の土木職の採用は若干名。
採用試験は250名程度の参加で、最終的に一人採用。
後に当時の人事担当の先輩から「財政状況から採用をゼロにしようとしたが若干名の公募を出しているので一人は採用しよう」 ということになった、とお聞きした。
広島県三次土木建築事務所に配属。
1978
本州四国連絡橋公団に出向。第3建設局向島工事事務所に配属。
因島大橋の上部工建設を担当。
国内トップクラスの技術士や博士号を持つような長大橋技術者から大きな刺激を受ける。土木技術の基礎を培う。
1981
県庁に復帰。福山土木建築事務所内海大橋架橋 事業所に配属。本四公団の経験を活かし国内で は最長のニールセンローゼ橋であった内海大橋 の下部工の発注を担当。
1982 妻祐子と結婚
1983
土木建築部道路建設課改良係に配属。初めての本庁勤務。
道路建設課は県庁の課の中で最大規模の予算を執行。
中でも改良係は多くの市町村からの要望を受け予算を配分。
この時代に多くの市町村の首長、議長と面識を得る。
1988
土木建築部技術管理課に配属。災害復旧、技術総括担当。
若手技術者の育成プログラムの策定。
建設工事の執行に関連して法律知識の必要性を感じ、 中央大学法学部通信教育課程に入学。
1990
東京事務所都市課長 バブルの最盛期に建設省(現国土交通省)の「とんび」担当、全国の都道府県に知遇を得る。国会議員の先生方や秘書の方々、党の政調会の関係者と面識を得る中で、国の政策決定過程を学ぶ。全国都道府県すべてを踏破。
東京事務所時代休日娘たちと
首相官邸新年互例会宮沢首相と
1993
土木建築部都市計画課計画係長11月藤田知事の就任に伴い知事秘書として配置換え。5年4か月の間随行秘書、政策秘書を経験。首長、議員に加え経済界などにも知遇を得る。このころから東洋思想に関心を持ち人間学研究セミナーに参加。
高田郡内の町長さんたちと藤田知事のとのブロック行政懇談会
1997
中央大学法学部通信教育課程卒業。
1999
土木部道路建設課課長補佐
2002
東広島地域事務所建設局技術次長 福富ダム、
空港大橋など100億円プロジェクトを担当。
河内町入野ののり面崩壊事案で危機管理担当、
全国にTV放送される。▶︎
2002
東広島地域事務所建設局技術次長 福富ダム、空港大橋など100億円プロジェクトを担当。河内町入野ののり面崩壊事案で危機管理担当、全国にTV放送される。▶︎
2004
土木部技術管理課長 この年10個の台風が日本に上陸。
瀬戸内海各地で高潮災害発生。
高潮浸水被害の再発防止に向けた学識経験者の委員会を運営。
2006
福山地域事務所建設局長
鞆地区の埋立架橋を推進する現場の局長として住民との交渉や埋立申請に必要となる鞆港内の測量の実施を指揮。
2007
土木部土木整備局長 
このころ若手の技術者を集め「人間学研究会」を主宰。
2008
土木局土木整備部長 
湯崎知事就任に伴い鞆地区埋立架橋の方針転換。
担当部長として埋立架橋推進派住民との対応に奔走。
2009

◀︎土木局技監
同僚達と
2009

◀︎土木局技監 同僚達と
2010
土木局長 
社会資本整備が大きく転換、「コンクリートから人へ」が流行語となる。庄原の土石流災害対応を指揮。
被災流域の原型復旧から周辺の土地を一括取得し複数の砂防堰堤を建設し、公園として整備復旧。
土木局長時代の仕事風景
土木局長として谷口功労賞受賞
土木局長時代 高木県議との一問一答
土木局長最後の議会
2013
広島県庁退職
㈱サタケ入社、エンジニアリング本部部長。
サタケ時代、中国出張
2016
広島県副知事
広島市東部連立立体交差事業、鞆地区埋立架橋問題、
広島高速道路5号線問題など県の3大懸案、サッカースタジアム、
広島市内への外資系ホテル誘致などを担当。
                       春の園遊会赤坂御苑にて 平成天皇・皇后両陛下に拝謁させていただきました
2017
東広島市長突然の引退に伴い東広島の経済界から市長選に出馬要請。 12月末副知事を辞任し、出馬を決意表明。
多くの県庁職員に見送られ副知事辞任
2018
西条駅前で街頭演説
東広島市長
2月4日、東広島市長に当選
湯﨑広島県知事から当選の祝辞
2月5日、当選翌日から東広島市長としてスタートダッシュ

PROFILE

好きな本のジャンル
経済学、東洋思想、歴史
スポーツ
自転車(ロードバイク)、ゴルフ
好きなプロ野球チーム
広島東洋カープ
東広島市の好きな場所
吾妻子の滝
健康法
毎朝1時間のウォーキング、スクワット
休日の過ごし方
海沿いなどを自転車で走るのが好き
趣味
散歩、読書、サイクリング、果樹園芸
座右の銘
『着々寸進 洋々万里(ちゃくちゃくすんしん ようようばんり)』
(着実に一歩ずつことを成せば、万里の彼方にも到着する)
『夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。』 吉田松陰
得意分野
土木工学(技術士(総合監理部門・建設部門)、測量士、一級土木施工管理技士)
所属団体
公益社団法人土木学会「フェロー会員」
※フェロー会員とは、原則会員歴が20年以上で土木分野の責任ある立場で長年にわたり指導的役割を果たし、社会に貢献してきた正会員に送られる称号